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発酵道

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寺田本家が自然に学ぶ酒造りを目指したのは、先代23代目寺田啓佐の病がきっかけでした。
25歳で婿入りした寺田啓佐は生産性や効率重視、原価を下げて利益を得ようとしますが、何をやってもうまく行かず日本酒離れも進む中、経営も危うくなり、ついには病に倒れます。
病床で眠れない夜を過ごすうち、ふと「発酵すると腐らない」ことに気づかされます。
発酵するといつも変化し続けます。そのバランスが崩れると腐敗に向かう。
自らの行動はすべて調和を乱し、蔵の菌のバランスを崩し、会社も自分も腐らせてしまったのだと。この気づきから本物の酒「百薬の長たる酒」、原点回帰の酒造りが始まりました。
以来30年ほど、ひたむきに発酵とは何か、自然酒とは何かを追い求め、微生物とともに歩き続けてまいりました。

いのちが喜ぶ発酵

微生物の力には、いつも驚かされます。
蒸したお米に振りかけられた麹菌の胞子が、ほんの20時間ほどで目視できる菌糸を形成し始め、たちまちのうちに発酵熱を出し、ぐんぐんとうなりを上げるかのように米の分子構造を変革していく様。
唄が響く酛摺りからはじまる生酛は、毎日暖気樽をいれて温度が加えられると、仕込み水や空気中から現れる硝酸還元菌、乳酸球菌、乳酸桿菌の力によって環境が整えられ、じっと待っていると2〜3週間ほどで、蔵付き酵母の発酵が始まりプクプクと泡立ちアルコール発酵が始まってきます。無から有を生じるような、生命の爆発を感じる発酵の様子に魅せられ、お酒造りにまたのめり込んで行きます。
私たちの目には見えない小さな微生物たちはその一つ一つが生命であり、その生命活動の営みとして発酵が繰り広げられていきます。逞しさと儚さは私たちにいのちとは何かを問いかけてくるかのようです。

いのちとはなんでしょう
その根源的な問いに応えるのが、神話や宗教の物語であり、また自然科学の研究です。
溶解した岩の塊の生命の存在しない天体として45億年前に始まった地球は微生物の生命活動とともに環境が整えられ、多くの動植物が共生進化する今の自然環境が作り上げられました。そしてその進化の最前線に私たちは立っています。
テクノロジーが発達した今日でもいつか皆必ず死んでいくということが、私たちが自然の一部であることを教えてくれます。そして限りがあるからこそいのちは美しく輝くのかもしれません。
微生物はその一つ一つがいのちです。発酵はいのちの記憶に刻まれた微生物たちとの共生の世界です。
私たちは一人で生きているのでなく、その進化の過程でずっと微生物とともにあり、これからも微生物とともに生きて行く。その深いつながりがいのちに喜びをもたらすのかもしれません。日々目に見えない微生物を感じ、その喜びをお酒に込める。それが寺田本家の取り組む自然酒造りです。

全体性と微生物

自然発酵の世界では、一つだけの微生物でなくたくさんの微生物の関わりでお酒が醸されていきます。まるで微生物同士がネットワークを持っているかのように、ちょうどいいタイミングで次の微生物があらわれ、いのちのバトンタッチを行っていきます。そしてそのいのちを使い切った後も、また他の微生物の栄養源となり、その役割を全うしていきます。
一つの菌だけで仕事を全うするのでなく、次に現れる微生物のために余地を残しておく。たくさんの種類の微生物が互いに支え合い、生かし合う姿は、自然界の法則が「共生」であることを教えてくれます。「競争」ではなく「共生」です。
最近の研究で微生物のネットワークは森林の土中でも行われていることがわかったそうです。
カナダでの研究によると森全体を健全に保つために、土中の菌根菌が情報交換をしながら、弱っている木に多くの栄養を送り込む様子が報告されました。私たちが想像もしないコミュニケーション能力を微生物はもっているのでしょうか。
自然界が微生物などを介して全体として調和しようというベクトルを持っていることを、わたしたちはつい忘れがちです。便利なこと、手軽なことが良しとされるなか、微生物は常にゆったりとした時間とともに、調和した世界を作り上げていきます。
発酵を見つめ直すということは、現代人がどこかにおいてきたいのちの全体性を取り戻していく手立てのひとつなのかもしれません。

変わりつづける

発酵すると腐らない。
この気づきを得て23代目寺田啓佐は発酵道という本を著わしました。
お酒も味噌も発酵していればずっと保たれます。キュウリもそのまま置いておくと腐っていきますが、ぬかみそなどの漬け床に漬け込んでおくと発酵しずっと食べ続けることができます。しかも時間がたつほど健康効果も増幅されます。その腐らないわけは変化し続けるからだと本では説明されています。一見同じような状態でも、そのなかでは常に変化が起こり、とどまることなく発酵状態を保っています。変化を受け入れれば発酵が始まり、変化を受け入れなければ腐敗が始まるとも。
「動的平衡」理論を提唱する福岡伸一先生は、わかりやすくこのように説明されています。
「山手線は昔からずっとありますが、その部品は最初のときのものはもう一切ない。だけど山手線として今も存在していますね」私たちの身体も外側から見ると同じような状態を保っていますが、その内側では川の流れのように絶えず細胞や共生菌が入れ替わり、新しい自分を作り続けています。滞らせることなく、流れを感じ乗っていくこと。そのいのちの躍動が発酵のエネルギーの原点なのでしょう。
寺田本家では自然酒造りをはじめてから30年以上に。自然酒とはなにかを問い続け、製法も造り手も少しづつ変わりながら、寺田本家ならではの味わいを醸してまいりました。自然に寄り添うお酒、いのちが喜ぶお酒造りという私たちの軸を守りながら変わり続けてまいります。

発酵と腐敗、調和

微生物が有機物に働きかけて分解し有益な成分を生み出すことが発酵。同じ現象で人にとって有害な物質をだすと腐敗になります。つまり役に立つと発酵、役に立たなければ腐敗です。
この発酵と腐敗の境目は曖昧で文化・時代が違えばその線引きも変わります。どちらが良い悪いということでもなく、東洋思想の陰と陽のように物事の両面を表していると言えるでしょう。
「醍醐のしずく」というお酒の製法は、生米を洗って水に浸しそこに炊いたご飯を布に包んで一緒に漬け置きして、数日間放置します。水にはお米のエキスがだんだんと溶け出し、白濁してくるとそこに空気中の微生物が入り込み、酸っぱいような腐ったような香りを放ちます。そこまで来たら中につけている生米を取り出して蒸しあげ、またその酸っぱい水にもどします。そして麹を加えてしばらく発酵して搾ると完成となります。
腐敗と発酵の間を行き来しながら醸していくこの製法では、途中で腐敗したような香りを醸していた菌も、この美味しいお酒を作る大事な役割を果たしてくれます。環境を整えてあげれば、腐敗に傾いていたとしてもまた発酵するのです。
改めて発酵とは何か考えてみると、発酵には、周りを良くしていこう、いのちを生かしていこうとするエネルギーが高まっていくように感じます。有機物は発酵と腐敗を繰り返しながら、その見えないエネルギーを循環させ、またそのエネルギーを受けとった誰かからまた発酵が始まり、発酵の循環は空間を超えて広がっていきます。少し違った視点で見てみれば、発酵することは自然の中にあるいのちを生かそうとするエネルギーを取り込んでいくこと、腐敗はすばやく分解しながらエネルギーを放出して分子・原子の状態に戻し、また新しい役割へ転換していくことかもしれません。

発酵する生き方

発酵を見つめるということは、いのちを見つめるということ。そして微生物から私たちの生き方のヒントが見えてきます。
環境が整うと、微生物は多様なまま共生しながら発酵していきます。お互いが支え合い、生かし合い、慈しみ合いながら、自分の仕事を精一杯やりきり、出番が終わると次の微生物に場を譲り渡しすっと消えていなくなります。その純粋さと謙虚さで、自然界の奥にあるいのちを生かそうとするエネルギーとつながり、私たちに美味しく健康に幸せになれるものを生み出してくれます。
私たちの身体も大きな発酵装置です。100兆以上といわれる微生物が私たちの身体に住んでいて、共生しています。寺田本家で楽しく唄を唄いながらお酒造りをすると微生物たちが元気に発酵してくれるように、私たちが日々の暮らしでワクワクし喜びを感じ、ありがとうと感謝の気持ちが溢れているときには体内の微生物も活性化するに違いありません。
誰かと自分を比べたりせず、やりたいことを精一杯やって、うまく行かなくたってそこは他の菌の出番を作ったということ。謙虚に美しく、仲良く自分らしく、正しいことよりも楽しいこと、
そう変わっていこうとする私たちの意識が、毎日を発酵させていくのでしょう。